文章修行

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『風の歌を聴け』を読み返してみた

ここのところ村上春樹の小説を読み返していた

そしてデビュー作である『風の歌を聴け』も読んだのだけど、改めて見返してみると、けっこう重い話なんだな、と感じた

 

この小説は一つのまっすぐな連なりにはなっておらず、断片的に物事が語られる

なので一見すると軽くてふわふわした雰囲気小説のように見えるのだけれど、中に籠められているものは決して軽くない

 

登場人物のうちのひとりに、小指のない若い女性がいる

堕胎手術を受けており、家族との関係がうまくいっておらず、そして貧しい

 

「鼠」というあだ名の若者は、大学からドロップアウトしてぶらぶらしており、家が金持ちなのだけど金持ち(親)を嫌っている

 

それ以外にも、治る見込みの乏しい重病を患っていて、ずっと入院している少女のエピソードなどが出てくる

 

これらは古典小説に出てくるような、うまく生きられない、苦しさを抱える若者たちだ

 

なので普通の方法で、それぞれの人物が抱く重みを順序立てて描写していたら、この小説は若者たちの悩みや葛藤を描いたものになっていただろう

 

しかし順序を入れ替えて間を抜くことによって、そうした重みを軽減し、すらすらと読める小説に作り変えている

(そのような手順を踏んだことは作者本人が語っていた)

 

その結果として、淡く流して読んで気分だけを味わうこともできれば、深く読み込んで重みを自分ですくい取る、という読み方もできる小説になっている

 

作中において「気分がよくて何が悪い?」というフレーズが出てくるが、こういった不幸が存在することから目をそらし、気分のよさに浸ってもいいのではないか、という一方からのメッセージも織り込まれている

 

そういった意味で、なかなか多層的な小説なのではないかと思う

作者は未熟な時期の小説だと述べていて、できには満足していないようだけど、力量不足の中でも、作品として一定の価値を備えるように書けているから、これでデビューしてプロへの道を開くことができたのだろう

 

この話の中では、小指のない女性は主人公の「僕」と親しくなるが、ある日姿を消してしまって二度と会わなかった、ということになっている

 

鼠はどうなったのかわからないが、たまに小説を書いては僕のところに送ってきている、ということになっている

 

物事があいまいに流れ去っていき、重みは提示しても、その結末は引き受けない、という姿勢でひとまず物語は終わっている

 

しかし作家として活動を続けるのなら、どこかでその重みを引き受けなければならなくなるわけで、その結果が『羊をめぐる冒険(鼠の話)』や『ノルウェイの森(女性たちの話)』といった作品として現れてきたのだろう

 

そういった意識が『風の歌を聴け』の時点ですでに存在していたらしいことは、作中でラジオDJが語る「僕は・君たちが・好きだ」というセリフによって表されていたように思える