文章修行

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個人開発はしんどい

私はここ数年の間、アプリやゲームの個人開発をしている。

また、電子書籍を作ったりもしている。

 

以前はしていた、会社の中でやる仕事や、フリーランスの仕事などもしんどいところはしんどいが、個人開発にはそれとは違った独特のしんどさがある。

 

会社の中での仕事もフリーランスも、基本的には、すでに誰かが作り上げている仕組みの中で仕事をして、あるパートの役割を果たすことによって、得られる収益の一部を報酬として受け取る。

 

やることは既に決まっていて、何をするべきなのか、どういうことをすればいいのかといったようなことについては、あまり考える必要はない。

ただ役割を、きっちりと果たしさえすればいいのだ。

 

しかし個人開発の場合には、何をするのか、何を作るのか、どうやって収益を得るのかについて、全部自分で考えなければならない。

当然、やりはじめたころは、そういったことには慣れていないので、あまりうまくいかない。

 

すでに数年やっていて、そこそこの収益が得られるようにはなっているけど、うまくやれているというほどでもない。

 

そもそも作るだけでも大変なのに、何をどう作ればうまくいくだろうか、収益を得られるだろうか、といったようなことまで考えるのは、なかなかしんどい。

 

すべてを1人で決めてやっているので、スケジュールを決められてしまったり、口出しされる事はないから、その点では気楽だ。

けれど、すべての責任を自分ひとりで負っているという事でもある。

成功も失敗も、その責任は全て自分にかかってくるので、それが精神的な重圧を生み出す。

 

いろいろと作っていると、数ヶ月をかけて作ってもあまりうまくいかなかったり、1ヵ月で作ったものの方がうまくいったりすることもある。

 

うまくいくかいかないかは、世の中に出してみなければ判明しないものだけれど、しかし手抜きをしたもので成功することはないので、常に頭をよく使いながら、きっちりと作り続けなければならない。

 

実際のところ、人に頼まれたことをやっている方が、負荷がそこまで大きくならないし、収益も得られやすい。

 

それなのにどうしてわざわざ個人開発をやっているのだろうかと、ふと考えてしまうこともある。

 

自分ひとりで、より多くの役割を果たしたいとか、個人として直接マーケットに向き合ってみたいとか、そういった願望がある人は、個人開発に向いているかもしれない。

 

しんどくても、それゆえの面白さもあるので、私はそれなりの期間、個人開発を続けているのかもしれない。

 

誰に何を言われずとも、ひとりでしたいだけ、よいものを作ろうと追求することは、楽しいことなのかもしれない。

 

また、時間を誰かに売り渡すことなく、自分の使いたいように使えるという点にも、大きなメリットがあると感じられる。