村上春樹の長編小説『街とその不確かな壁』 を読み終えた。
この小説は、今までの村上春樹の長編小説とはだいぶおもむきが変わっている。
これまでの長編小説では、何らかの外部の力や環境の変化によって、ゆさぶられる個人の姿が描かれていた。
たとえば『羊をめぐる冒険』では、友人が権力機構とオカルトが混じりあったやっかいな状況に巻き込まれ、それによって主人公は今までの生活を捨て、奇妙な冒険に出て行かざるを得なくなる。
『ねじまき鳥クロニクル』では、邪悪な義兄の影響で妻が姿を消してしまい、主人公は暴力とスピリチュアルなものが混在する世界にいざなわれる。
自分なりのスタイルを築いて生活をしている主人公が、外からやってくる、理不尽かつ大きな力に振り回されるが、多くの場合は女性の支援を受け、霊的な世界に入り込みつつ、その状況をなんとか切り抜けて生きのびる。
そして物語が始まった時とは異なる心境や環境に移行する。
そのような姿が描かれてきた。
そういった物語はやや理解しづらいところもあるが、基本的にはスリリングで興味深く、楽しんで読んできた。
しかし今回の『街とその不確かな壁』は、そういった物語群とはだいぶ姿形が異なっている。
この小説には、主人公を脅かす者はどこにもいない。
暴力の影もなければ、主人公の生活スタイルを崩そうとする者もいない。
いつもなら、主人公は女性との間にセックスを通じて、肉体・精神ともに結びつきを得ていくのだが、そういった展開も封じられている。
作者はいつものパターンをあえて取らず、自分にどのようなものが書けるのかを、あるいは試そうとしたのかもしれない。
その結果として、この小説は閉じた輪の物語になっていると感じられた。
この小説には、主人公の頭の中にできあがっている、架空の街が登場する。
主人公はそこにとどまり続けたい、つまりは自分の内側にこもっていたいと望んでいたが、気がつくと現実の世界に帰ってきていた。
仕事をして生活を築きはするものの、誰との間にも深い関係を結ぶことができず、孤独に歳をとってしまう。
そして中年になってから、新しい環境を求めて仕事を辞め、小さな街にある図書館の館長に就任する。
いつもであればここから奇妙な事態が発生し、主人公はその立ち位置の変更を迫られることになるのだろうけれど、今回はそうはならない。
奇妙な事態は発生するのだけれど、それは主人公を脅かさないし、誰かと親密にもならない。
周囲の人々との接触は、主人公に自己や意識、精神といったものへの認識の深まりをもたらすものの、 誰も心の奥深くにまで入ってくることはない。
女性との関わりは生まれるが、セックスをすることはなく、その関係は淡いままで終わる。
つまりこの小説には、外部が存在しないのだと言える。
そのために読み口はマイルドで、同時に強い刺激をもたらすこともない。
自己という閉じた輪の中で、起きることを克明に描いていくだけだ。
物語の最後で、主人公は内面に築かれた街から解き放たれるらしいことが描かれているが、その後どうなったかはわからず、その後、街に戻ることがなかったのかどうかもわからない。
結末は曖昧で、結局のところ外部と接触できたのかどうかもわからない。
ご想像にお任せします、という終わり方になっている。
あとがきで、作者はこの作品がコロナ禍の時期に作られたことを示している。
外部との接触が制限され、より強く自己の内面を意識しやすい、あるいはせざるを得なくなる環境にみなが置かれた。
この小説は誰もが閉鎖的にならざるを得ない、そんな特殊な状況下における人間の精神のありようを描いているのだと、そのように評することもできそうだ。
いつもの村上春樹の小説が油絵だとすると、この小説は水彩画のようなのもので、淡くて印象が薄くもなりがちだ。
それをよしとするかどうかは、個々の読者の感性にかかってくるところだろう。