文章修行

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私たちはウクライナを盾にしているのではないか

ウクライナでは依然として戦いが継続しており、他国からの支援の内容も変化しつつある。
これまでは欧米から対戦車・対空兵器が多く供与されていたが、これからは戦車も加わるようだ。

この他にも、NATOが航空機によるロシア軍の情報収集を行い、それをウクライナと共有している、という話もある。

すでに相当なレベルで事態に介入していると思うのだけれど、それでもどの国も、兵員を直接送ることはしていない。

この構図を見るに、欧米諸国はウクライナ人に兵器を持たせて戦わせ、血を流させ、ロシアの侵略に対する盾にしているのではないか、とも感じられてくる。
ロシア軍がウクライナで長く戦って消耗すれば、経済制裁の影響もあって国力・軍事力がともに低下することになる。
そうなると、ロシアがウクライナ以外の地域に手を出す余裕はなくなるし、あわよくばロシアという国家の崩壊という結果を引き出すことができるかもしれない。

そのような思惑が、裏側に潜んではいないだろうか。

アメリカ軍が直接ロシア軍と戦い始めると、世界大戦に発展しかねない、核兵器を互いに使うようなことになれば世界が滅ぶ…そういった理由はもっともではあるのだけれど。

ウクライナからしても、兵器だけの援助であっても、ロシア軍を退けるには必須であるので、この状況を受け入れるしかない。

ウクライナに犠牲を強いることで、ロシアと敵対的な関係にある国々は、自国の安全が確保しやすくなる、という恩恵を受けることになる。
また、独裁・強権的な国家に対する、民主国家の優位性を打ち立てることもできる。

日本もまた、中国の脅威にさらされているし、ここでロシアがつまづくことで、中国が行動をためらうのであれば、ウクライナの奮闘によって恩恵を受けることになる。

そういった背景があるから、各国はウクライナへの支援を惜しまないのだけれど、そこに一抹の罪悪感を覚えてしまうのも事実だ。

ウクライナは盾となり、多数の戦死者を出し、街は廃墟と化していっている。