現代は情報環境が充実しているから、遠く離れた地域のことでも、家にいながらにして詳しく知ることができる。
いまはウクライナに関する情報がたくさん出ていて、ひどい戦争のありさまを毎日のように見かけることになっている。
起きている出来事の規模は大きいが、それと比較すると、私のできることは実に小さい。
戦争を止めることもできないし、難民を救うこともできない。
せいぜいできるのは、いくらかを人道支援のために寄付するくらいのものだ。
一個人として生きているのだから、そうであるのは当たり前のことなのだけれど、どことなくもどかしさは残る。
思うに、こういった気分になるのは、大量に行き交う情報の力によって、世界を広く知ることができても、個人が行動できる範囲は特に変化するわけではないからなのだろう。
それゆえにギャップが生じ、もどかしさが生まれる。
知ることにも意味はあるのだけれど、知るだけでは足りない。
そんな感触が私の内にある。