文章修行

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ウクライナは世界の一部で、チェチェンやシリアは世界の外

ロシア軍はウクライナの首都・キーウの周辺から撤退を始めているが、それにともない、占領されていた地域の調査が進んでいる。
この結果、ロシア軍は子供を含む一般市民を、拷問した後、残忍な方法で殺戮していたことが明らかになってきた。

すでに数百人の遺体が見つかっているが、おそらくその数はこれからもっと増えていくだろう。

ロシア軍がウクライナにおいて蛮行を働いていることはほぼ確実だが、一方において、ロシア軍が残虐なのはいまに始まったことではない、という指摘もある。

これまでにロシア軍はチェチェンやシリアなどで戦ってきているが、そこでも無差別に一般市民が殺害されていた。

チェチェンでは20万もの人々が殺害されたと言われている。
まごうかたなき大量虐殺だ。

しかしこれらの国々はウクライナほどには注目されず、さほど報道もされていない。

それはどうしてなのだろうか。

おそらくは、チェチェンやシリアに対しては、欧米諸国などが「秩序が保たれ、守られるべき地域だ」と、認識していないからではないだろうか。

自分たちが承認する秩序世界の外にある地域だから、攻撃されてもさほど気にしない、報道もしない、戦争犯罪の追求もしない、ということになっているのではないか。

政体が民主主義で、自分たちの経済圏に貢献する国は世界の内側にいる国だとカウントし、そうでない国には目を向けない。

そのように、世界各地の国々に等級がつけられ、差別が行われているのではないか。

チェチェンとシリア、ウクライナの扱いの差を見るに、そういった思想が現代の国際社会には存在しているのではないかと思えてくる。

とは言え、これは欧米だけの問題ではなく、日本においても中央アジアや中東に関する報道は少なく、遠く、関わりの薄い地域だと認識されているのではないだろうか。

私もまたそれは同じで、シリアの紛争の報道を見ている時よりも、ウクライナの戦争の報道を見ている時の方が、受ける衝撃が大きくなっている。

シリアで起きることは日本では起こらなさそうだ。
しかしウクライナで起きることは日本でも起きるかもしれない。

どうしてか、そのように受け取っている自分がいる。

この心理的な距離の差や、自分が世界をどのように認識しているのかについて、しばらくは考え続けてみようと思っている。