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空虚なテロリズム 選挙と関係のない、元首相の暗殺

 選挙期間中に元首相が銃撃されるという、大きな事件が発生した。
 となると、政治的な意図をもってなされた犯行なのかと思われたが、その後の報道を見ると、まるで違っていたようだ。
 犯人は宗教団体(統一教会)に恨みを抱いており、その団体と関係を持っていた安倍元首相の命を狙った、というのが犯行動機であったらしい。
 動機の論理がねじれていて、やや飲み込みにくいが、犯人の精神状態があまりまともでない可能性があるので、ひとまずこのことはおいておこう。

 この事件で個人的に気になったのは、最初に書いたように、選挙戦の最中に起きた要人の暗殺事件であるにも関わらず、犯人には政治的な意図がまったくなかった、という点だ。
 今の日本では政治に無関心な人が多く、選挙の投票率も低いが、それがこの事件の様相にも反映されていると感じた。
 犯人にとって選挙は、日本の政治を決するためのものではなく、政治家が無防備に、身近なところに姿をあらわすので、殺害を実行しやすくなる、ただの好機でしかなかったのだ。
 言論は暴力に屈してはならない、といったようなフレーズを政治家の面々が発していたが、犯人は「暴力によって言論を封じよう」といったことは、まったく意識していなかったのである。
 その行動は、もっと小さなところから生じた、個人のうちに宿る怨念によってなされたものでしかなかった。
 このようなすれ違いが発生していることが、今の日本の政治の空虚さを物語っており、それこそが民主主義に危機をもたらすのではないかと思われた。

 すれ違い、という点でもうひとつ付け加えると、そもそも被害者が安倍元首相でなければならなかった、という必然性もないのである。
 犯人にとって標的は、宗教団体の主催者や幹部、あるいは関係を持っている有力者であれば、そのうちの誰でもよかったのだろう。

 けれども、安倍元首相はあくまでも外部からの関係者でしかなく、彼を暗殺したところで、それで宗教団体そのものに大きなダメージを与えることにはつながらない。

 ゆえに今回の事件は空虚なテロリズム、とでも名づけるのが適切なのかもしれない。