今年は桜が満開になっていたころに雨がよく降っていたので、じっくりと一番いい時期を見ることはできなかった。
すでに花はだいぶ散っていて、葉が多くまじるようになっていた。
よいところを見れなかったのは残念なのだけど、その分だけよい天気と桜の満開の時期が合わさった年に見れるのが楽しみだということにもなる。
ところで、少し前に桜をうまく撮影するための方法を紹介した記事を見かけた。
桜の背景に青空を入れるとよい、はじの方に建物などの人工物や人が映っていたりするとアクセントになる、といったような話で、それはそうかも、と思うところがあった。
その記事の後半では、ツールを使って色調補正をする話が出ていたのだけど、そうすることでだいぶ見栄えをきれいにできるのは確からしい。
しかしそうなると、写真の人工性が強まってしまうので微妙だなと感じるところもあった。
旅に出て、ふと偶然きれいな景色を見ると感動するが、それはいつも見られるわけではなく、運に恵まれたという希少性がそこにあるからなのではないかと思う。
加工すればたいていの写真をきれいにできるのだろうけど、実物を自分の目で見たときほどの強い印象は受けない。
裏側を知ると、いくらでも作れてしまうことがわかってしまうし。
希少性、偶然性、そういったものが景色を見て楽しむ上では必要なのかも、というのが最近思ったことだった。