文章修行

文章修行のためにあれこれと書いていくブログです

朝に何をするかが重要 8月18日の日記

 この日記は2日前の日付のものが投稿されるようになっている。
 日記を書くにあたり、前の日にあったことを思い返して書く、というスタイルで始めたからだ。
 当日のことはまだ生々しいというか、起きたことに対して気持ちが固まっていないことが多いので、1日あけた方が書きやすい。
 そして書いた翌日に見直しをしてから投稿するので、日付が2日ずれることになる。

 以前読んだ本に「書いたものは少し寝かせてから発表した方がよい」と書いてあった。
 見直す時間があれば文章の変なところを直せるし、これを人に読ませると問題になるかも、という点があったら消すこともできる。
 書いてからぱっと出してしまうと色々とまずいことになる可能性があるが、間をあけるとリスクを軽減できる。

 それ以外にも「夜に書いたものはおかしな内容になりがちなので、そのまま見せない方がよい」とも書いてあった。
 夜になると、書く内容は確かに普段よりも乱れたものになりがちなように思える。

 人間は起きてから十数時間がたつと、お酒を飲んだときと同じくらいの集中力しか出なくなるらしい。
 それに加えて夜は疲れていることも多いので、心身の状態が不安定になり、それにともなって文章の内容も不安定になりやすいのかもしれない。

 なのでこの日記も午前中に書いている。
 他の文章も同様だ。
 単純な作業なら午後や夜でもできなくはないけど、複雑なことや神経を使うことは早めの時間帯にやってしまった方がいいように思える。
 朝起きて軽く体を動かし、朝食を食べて少しゆっくりしてから何かをやり始める、というのがいつもの習慣になっている。
 起きてから時間がたつほど疲れがたまり、集中力も低下していくので、そうなる前に重要なことをやってしまうのが一番合理的なのではないだろうか。

 朝に30分〜1時間くらい勉強をするのを習慣化している人もいるようだけど、同じ理屈なのかもしれない。
 新しいことを覚えるには集中力がいるので、早いうちにやってしまった方がよいのだろう。
 朝をどう過ごすというかというのが、1日のクオリティに大きく影響するように思える。
 1年の計は元旦にありというけれど、1日の計は朝にあり、とも言えるかもしれない。

慣れと間隔 8月17日

 毎日日記を書いて投稿していこう、と思い立ってから1ヶ月以上がすぎてるのだけど、意外と続いている。
 わりとすぐに書くネタがなくなって放り出すかと思っていたのだけど、書こうと思えばそれなりに何かしらが出てくるのが面白い。
 毎日書くことによって、脳がネタを考えることに慣れてきて「今日はこれを書いてみようか」と思いつきやすい状態になっているのかもしれない。

 書くことは事前に用意したりせず、その場で思いつくことを書くようにしている。
 その方が書きやすく、逆に事前にテーマを決めて書くと文章が硬くなって微妙なものになりやすい。
 文章もライブ感みたいなのが重要なのかもしれない。
 特に日記のようなものでは。

 最近思うのは、好きな事や物でも、毎日触れているとだんだんとうんざりしてくるので、たまには距離を取ったほうがよい、ということだ。
 7月の頭ごろに胃の調子が悪くなったので、1ヶ月ほど禁酒していた。
 そろそろ調子も戻ってきたので久しぶりに飲んでみたのだけど、するといつもよりもずっとおいしく感じられた。
 好きな食べ物にしても同じで、好きだとついつい食べる頻度を上げがちだけど、適度に間隔を置いて食べた方がおいしさを再認識しやすくなる。

 慣れすぎると刺激が乏しくなり、魅力を感じにくくなっていく。
 そういう性質が人間にはあるらしい。

 書くこともそうなりそうなものだけど、あまりそのようには感じない。
 なぜかというと、書く内容が毎日異なるからだろう。
 行為が同じでも対象が異なれば、人は飽きにくいのだと思われる。
 ゲームをするという行為は同じでも、遊ぶゲームは変わっていくのでゲームをすること自体には飽きない、というのと似ているかもしれない。

一生楽しめそうなこと 8月16日の日記

 ここのところ日記が2日に1度ペースになっているのだけど、お盆も終わりなのでそろそろ通常に戻していきたい。
 お盆の間は久しぶりにみっちりとゲームをしていた。
 やっていたのは『エルデンリング』というゲームなのだけど、ボリュームが多く、けっこうな時間を費やしたのだけど終わらなかった。
 たぶんクリアまでには全部で2ヶ月くらいはかかるだろう。
 2ヶ月くらい遊べて6000円、なのだからゲームは非常にコスパのいい趣味だと言える。
 なのだけど、一方で最近のゲームはクリアまでが長すぎるのでは、と感じることもある。
 100時間かかるゲームも当たり前に存在するようになっていて、1本に拘束される期間が長引きがちになっている。
 個人的には30〜40時間程度で終わるゲームをいろいろ遊びたいなと思うので、ゲームはもうちょっとスリム化してもいいのではないだろうか。
 作る方も大変だろうし。

 ところで「釣りを趣味にすると一生楽しめる」という格言がある。
 釣りはそれほど体力を使うわけではないので、年をとってもできる趣味だからなのだろう。
 これには実は、他にも付随する言葉があったりする。
 タバコを吸うと5分楽しい、酒を飲むと1時間楽しい、といったように。
 結婚すると1年は楽しい、なんてものもある。
 このようにしてあれこれ述べられた後に「釣りは一生」というシメがくる。

 ゲームの場合は目に負担をかけるので、一生は難しいところもありそうだ。
 一方で読書はゲームほどは目に負担がかからないので、一生楽しめるのではないかと思っている。
 もしも老眼になっても、今はデバイスの設定で字を大きくできるし。
 あるていど年を取ってくると、衰えた後でもやれることはなんだろうか、と考えて取り組みの対象を選択する必要が出てくる。
 ここのところ文章をせっせと書いているのはそのせいもある。
 プログラミングなどはそのうちきつくなりそうだけど、文章を書くのはわりと続けやすそうに思えるからだ。

賭け事にのめり込んだり、酒に溺れる人間は 8月14日の日記

「賭け事にのめり込んだり、酒に溺れる人間は破滅する」
 当たり前と言えば当たり前のことなのだけど、これが書いてあるのは2000年くらい前に作られた書物だったりする。
 具体的にはブッダの言葉をまとめた本で、テイストとしては孔子の言葉をまとめた論語に近いかもしれない。

 こういったものを読むと、2000年も前から人間の本性というか弱点は変わってないんだなあ、と実感できる。
 賭け事も酒も人類の歴史が続く限り、ずっと存在し続け、人間に害をもたらすのかもしれない。
 いわば毒物であるわけなのだけど、だからといって根絶できるかというとまず無理だろう。
 賭け事や酒には人を気持ちよくさせる作用があり、それに引きつけられる人間は絶えないからだ。

 以前、心理療法についての本を読んだ際に、賭け事がやめられない男性の話が出ていた。
 賭け事でときどき大金を失ってしまい、その度に妻が怒り、子どもたちからも冷たくされるのでつらい。
 だからやめたいけどうまくいかない、というのが相談の内容だった。
 これに対してカウンセラーは、賭け事をやめさせようとするのではなく、友人たちとの少額を賭けた遊び程度にとどめるように促すことで問題を解決した。
 これによって引き続き賭け事を楽しむが、大金を失うことはないので家族に嫌われなくてすむ、という状況を作り出したのだ。

 人の楽しみたい、遊びたい、気持ちよくなりたいという欲求は強烈なもので、それを満たすための行動をやめさせるのはまず無理だ。
 なので当人と周囲に深刻な害をもたらさない程度に付き合うのがよいのだろう。

 私の場合はゲームにのめり込むことがあり、休みと決めた日にはえんえんと遊んでいることもある。
 なので仕事をする日は、今日はゲームは夜しかしない、と決めてメリハリをつけることで、ゲームとほどよく付き合うようにしている。
 ゲームは長時間のめりこみやすい、という点が問題になりやすいので、そこを意識してコントロールする必要がある。

 このように、害をもたらす面があっても人が溺れがちなものは、意識的にほどよい加減に収まるようにすることが重要だろう。
 害があるならやめればいいじゃないか、と言うのは簡単だけど、現実にはそう簡単に離れられるものではないので。

 

『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』を読む 8月12日の日記

 昨日はかなり体調が悪く、日記は書かなかった。
 原因は何かと考えてみたのだけど、連日気温が35度くらいまで上がって猛暑がぶり返してきたので、それかもしれない。
 どうも35度に達すると翌日の体調が悪化するようだ。
 そこまで上がると寝る時も暑いので睡眠の質が落ち、それが体調不良を引き起こすのだろう。
 クーラーで調整はするものの、強すぎるとそれはそれで体調を崩すし、弱いと暑くて寝れないしで加減が難しい。
 暑さにも冷房にも弱い体質なので、この時期は過ごすのがなかなかしんどい。

 調子の悪い時に無理をしてもいいことはないので、昨日はだらだらしていた。
 本か漫画でも読もう、と思っていたところ、kindle unlimitedにいしいひさいちの『吉川ロカ ストーリーライブ』という漫画が入っていたので読んでみた。
 いしいひさいちは新聞に連載を持っている有名な四コマ漫画家なのだけど、この漫画は自費出版したのだそうだ。
 面白いとネットで評判になっていたので、以前から気になっていた。

 内容は、歌の才能だけはある女の子が、ストリートライブなどを通してだんだんと人気になっていき、プロへの道を進んでいく…という、設定的にはすごくありふれた話だ。
 この女の子は海難事故で両親を亡くしていて、同じく親を亡くした年上の少女と知り合って仲良くなる。
 このような境遇だったこともあり、年上の少女が歌のうまい女の子の精神的な支えとなっていく。
 しかし年上の少女の家は稼業の筋がよいものではなかったので、やがて有名になっていく歌のうまい女の子にとって、その存在がネックになる可能性が…。

 とこのように、筋立てだけ書いてしまうと取りたてて珍しいものではない。
 読んでいて、確かに面白いけどそんなに評判になるほどかな…と思っていたのだけど、ラストシーンがちょっとびっくりする内容で、なかなか衝撃を受けた。

 女の子が歌のうまさだけを武器に成功をつかんでいく、という夢物語ではあるのだけど、有名になるにつれて初期に支えてくれた人たちとのつながりが薄くなっていったり、途絶えていく展開はリアルなもので、そのあたりのさじ加減がこのフィクションを支えているのかな、と思ったりした。
 また絵柄の緩急が巧みで、普段はぼんやりした絵柄なのだけど、ライブで歌うところでは主人公がリアルな頭身になったりすることで、歌うことに関しては本物なのだ、という表現になっていた。

 四コマ漫画の達人がストーリーものを書くとこうなるのか、という観点から見ても面白い漫画だった。

 ラストでは色々なものが吹っ飛んでいるのだけど、その分だけこの2人はこの後どうなったのかな、と読者が想像する余地を大きく与えており、このあたりの作者のふっきれ具合がただものではない、と思わされるポイントだった。

 創作物にはこの作品のように、驚きをもたらすところがあると、強く印象を読者に与えて質を高めるところがあるのかもしれない。

次にやることを考えた時に 8月10日の日記

 今年の前半に、次にどんな新しいことをやろうかということを考えていた。
 候補にしていたのは動画を作る、文章を書くの二択だ。
 いろいろと考えた末に、文章を書くことを選んだ。

 説明をするのはわりと得意な方なので、動画を作るのを継続していけば、それなりに再生数が得られるようになるのではないかと思う。
 需要も多いし、いまの世の中で取り組むこととしては、ごくスタンダードな対象だと言える。
 でも結局やらないことにしたのは、動画の作業をしていて、これをこの先何年も毎日続けたいだろうか、と自問した時に、そうではないな、という答えが出たからだった。
 一方で文章を書くのは毎日でも別に問題ない。
 こういうのは向き不向きの問題で、動画を作る方が楽だ、楽しいと思う人もいるのだろうし、そういう人は動画の制作者になっていくのだろう。

 世の中で需要があるからそれに合わせて…とビジネス的には考えがちだ。
 お金を出して人にやってもらうのならそれでもいいのだけど、制作の部分を自分でやる場合には、毎日やっても苦にならないことを選ぶのが重要なのではないかと思う。
 そうでないと結局続けられないし、得られるものも小さくなってしまうのではないか。

 また、やりやすいことをやる方がストレスがたまりにくいというメリットもある。
 仕事がしんどいのは、これは稼げるから、という理由で我慢してやるところに原因の一つがあるように思える。
 多少効率は落ちたとしても、こちらの方が自分には合っている、ということをやった方が精神的にはやりやすくなる。
 ストレスをなるべく少なくするのも、継続性を高めることにつながっていくだろう。

ほどほどでやめておく 8月9日の日記

 最近は雨が降ることが増えていて、気温がちょっと下がり気味になってきた。
 そのかわりに湿度が上がって蒸すので、体感的な暑さはそんなに変わらない気もする。
 暑いからという理由でウォーキングをさぼっていたのだけど、あまり運動をしなさすぎても体によくないので、昨日の夜はがんばって歩いてきた。
 汗をやたらとかいたものの、気温が若干だけど低めのせいか、いつもよりはダメージが少なかったように思う。

 普段は夜になっても30度くらいあるので、長時間歩いて帰ってくると調子が悪くなり、それで運動量が減っていた。
 猛暑は運動不足をもたらし、健康状態を低下させるという側面があるかもしれない。

 そろそろ社会人も夏休みの季節で、そういう話題が増えている。
 私は個人事業主なので関係ないのだけど、他の人が休むなら休んでおこうかな、という気持ちになりがちだ。
 休みといっても家でできる仕事なこともあって完全に休むことは少なく、だらだらする日でも1〜2時間くらいは作業をしている。
 そのくらいでもやっておくとけっこう違いが出るし、後になってちょっとずつでも進めておいたよかった、と感じることが多い。
 特にやる気が出にくい単調な作業は毎日短時間やって、嫌になる前に切り上げると続きやすいように思う。
 そういうのを無理して根を詰めてやると、もうやりたくない、となって放置することになりがちだ。

 文章を書くのも似たところがあり、まだちょっと余裕があるかな、というくらいでやめておくのがちょうどいい気がする。
 1日であまりたくさん書いてしまうと、次の日に疲れが残ってしまい、今日は書く気がしない、明日にしよう。その明日にもまた明日にしよう、となって書くのが途絶えがちになる。
 明日もあるから今日はこのくらいで切り上げよう、と感じるラインを見極めるのも、継続的に何かに取り組む上では重要なことなのかもしれない。